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今何してる?

U.Zのネット版日記

漫画は表裏一体のエンタメアート

以前、人生で初めてとあるゲーム会社さんで開催された「インターンシップ」なるものに参加してきました。

たったの数時間だけでしたが、そこでした体験・経験はぶっちゃけると専門学校の一ヶ月分以上のスキルアップに繋がったのでは? と思うぐらいに充実していました。

まぁ、そう思えるようになったのも、学校がしっかり教えてくれているからこそ。なんでしょうが・・・。

 

と、まぁ自分の近況報告はこの辺にして、本題ですが。

 

そのインターンシップにて、初めに言われたことが「あなたはどうしてこのインターンシップに参加しましたか?」ということでした。

インターンシップの内容が「ゲームの企画書制作の仕方」だったので、ここではつまり「どうしてゲームを作りたいのか?」という意味にもなってくると思うんですが、

 

・「自分が作りたいゲームがあるから」

というと、それはアーティスト感覚の意見で、共にゲームを作るスタッフのことも、ユーザーのことも考えてないから

極端な話、ゲーム作りに向いてない人で

 

・「売れるゲームが作りたいから」

というと、まず第一に他者の感覚や思考、世間でのニーズ・需要から考え始めてそれにマッチしたものを提供するというエンターテイナー感覚の意見で、ゲーム作りに向いている

 

という話でした。(飽くまで極端な話)

 

でも確かにコレには納得です。人によっては色んな考えがあるでしょーけど、一般論として正しいことだと思う。

実際にプレイするのはユーザーで、作り手が面白いと思ったことがユーザーに伝わらなければ意味がない。当然だよね。

沢山の人が制作に関わって、話ではそこまで大規模でもないソシャゲのプロジェクトでも制作開始から完成までで最低数億はかかっていて、

一大プロジェクトゲームなら、数百億の製作費はくだらないとのこと。

 

そんなバカでかいお金がかかって作ったゲームがユーザーレビューにクソゲー判定されて、全然売れないし膨大な赤字ってなってしまったら、制作したスタッフも不満足。

ユーザーもアンハッピーで誰も得しない結果になる。

それこそ制作スタッフ全員がアーティスト気分でゲーム作ってたら、例え赤字でも全然気にしないし自己満足はしました。で問題ないんだろーけど、

沢山の人がゲーム作りに関わる以上全員がそんな気持ちで作るなんてことはまずあり得ない訳で・・・(気持ち以上に経済面とか諸々の事情もあるだろうしね)

 

アートとエンタメの違いの話は色んなところで取り上げられてますが、自分で読んで興味深かったこの記事を一応ここでリンクさせました。

 

seikiabe.exblog.jp

 

 

・・・と、まぁこーゆー話を聞いてきた訳なんですが・・・

上の記事でも書いてあるように、「ゲーム」では「アート」としての作品はほぼ成り立たないと思うのだが、「映画」では「アート」の作品も「エンタメ」の作品も存在する。

実際に自分でプレイする「ゲーム」や「スポーツ」ではなく、見るだけで完結する美術的娯楽においてはその限りではないということなのだろうか? そしてそれはどーしてなのか?

「じゃあ漫画はどーなんだろう」ってまずそこに俺は疑問を抱いたんだよね。

 

matome.naver.jp

 

テレビで映らなければその存在すらも知ることはなかったであろう「サブカル漫画」というジャンル。

そのとある番組で紹介されていたのが、この「ガロ」という雑誌だった。

やはりほとんどの読者に理解されず読み手がいないことから、売り上げも伸びず雑誌自体は赤字続きで、アーティスト魂を持ち、且つ経済的に余裕がある人たちが「原稿料0円」で描いて載せていた。ということがこの記事に書かれています。

 

つまり商業雑誌なのに商業としては成り立っていないで、自己満足の為だけに描きたい作家が無償で描くという何とも言い難い形態の雑誌だった訳だ。

むしろ編集・会社側の雑誌を続けるモチベーションや気持ちがどうだったのかが一番の疑問だ。

 

blog.livedoor.jp

 

で、実際こういった漫画も世の中にはある訳で、

売れたのかどうかはさておき、どう見たってこの「ガバ少」という漫画。作者は読者に理解されようと思って描いてはいないと思う。俺は作者じゃないから断定はできないけども。

しかしこの奇抜な話。斬新なコマ割り等の画面構成術。

それに興味をひかれた人が漫画を購入し、それが売り上げとなり、作家の収入になる。

「共感はさせるものではなく、すでにあるもの」

 

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WJ2017年9号に掲載された ストキン準キング原作「マツキタツヤ」 作画「宇佐崎シロ」

による読み切り漫画「阿佐ヶ谷芸術高校映像科へようこそ」より

 

まさにアートだと思います。

 

こういったものは結果的にお金が入って来てはいるけど、ネットに勝手に漫画を掲載して、それを誰か不特定多数に読んでもらうということもいってしまえば「アート」なのだろう。結局のところ得たいのは誰かからの感想・共感・反感等によって自分の中に発生する自己満足感だけだろうから。

 

で、ここでやっかいになってくるのが「同人誌」という存在。

 

同人漫画というのはつまり、

同人(同じ趣旨も持つ人) たちに向けた or たちで作った 漫画

ということになる訳なのだろうが、

まぁ言ってしまえば「自分の好きを詰め込めるだけ詰め込んで作った漫画」で、つまり自己満足。

どちらかと言えば「アート」な作品な訳だ。

 

でも「同人誌」という形になっているものは、

自費で本の形に製本して売る ー というここまでのプロセスを経た物のこと、又、そこまでを想定して作った物のことな訳で

つまり売ることが前提な訳である。

 

現実問題では赤字になるものの方が多数派で、ほとんどが売れ残る。さばき切れたり黒字になる人は少数の実力者のみだと、

同人誌即売会に出展側として数回参加したことのある知り合いに聞いたことがある。

 

まぁ出展側としては黒字になることは二の次で、自分のコミュニティーの形成だったり、自分の作品が見てもらえる嬉しさだったり、

目的は違えど、その全ては一つでも売ったその先に得られたり感じられたりするものなので、

結局は売れる形になっていなければ、「同人誌」としての定義すらも保てていないということになり得る。

 

ってな訳で同人誌を作る人は考える。「どうすれば無名の自分なんかの同人誌を売れるのか? 買ってもらえるのか?」

そうして今の同人誌を買う、いわゆる「オタク」界隈では今どういったものにニーズがあるのかという様なリサーチをして、

その結果得られた情報の中で、

二次創作なら人気の作品で自分も好きなモノを。

オリジナルならそこに流行りのネタをブッ込みまくる等の技を活かそうとするのだ。

 

じゃあこれって「アート」なのか? 

こうなってくると最早「エンタメ」じゃね?

だってまず「自分」のことよりも先に「不特定多数の誰か」のことを考えてからの、その中での自分の好きなものだったり描きたいものだったり・・・ってなる訳で。

 

そりゃモチロン完璧に自分の趣味だけで描く同人誌なんて腐るほど有るだろうけど、経験者の話を聞く限り、最近ではエンタメ的な傾向、売り方をする人が増えているということらしい。

 

確かに、いくら自分が好きな作品だからって、例えば俺なら良くジャンプNEXT買ってるから、その中で好きだった作品の二次創作同人誌を描いたとして

誰がまず知ってるのかって話よ。二次創作である以上原作者含めゼロの可能性はあり得ないけど、知名度が低かったり古すぎたりして流行をすぎたものなんかは、わざわざそういったイベントに行ってまで買おうなんて思わないもんね。

そして、どんなに描き手が好きだったとしても、「売れないかも」って予感はそれだけで描くモチベーションも下げるし、だったらそこまでして描く意味ねえだろって話だもんな。

 

 

何が言いたかったかっていうと、漫画は

売り上げが目的の商業漫画なのに「アート」として描かれる物もあれば

好きな気持ちが描く動機となる同人漫画なのに「エンタメ」として描く物もある

というどっちつかずな感じがコレまた奥も深くて趣深い娯楽だな。と思いました。

って話。

 

 

あと、インターンシップでは

時代と共にゲームを欲するユーザーたちの趣旨・思考は変わって来て、エンターテイナーたるものそのリサーチはおこたれない。

みたいなことを口を酸っぱくして仰ってました。

 

そこには必ず目新しいもの。見る人皆が「新鮮」と感じるものを考えるってことも重要になってくると思うんだよね。人って同じことの繰り返しだとすぐ飽きちゃうから・・・。

 

で、俺はここ最近の漫画の中で「新しいな」って感じたのはコレくらいかな。

 

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「女子かう生」 作 若井ケン アクションコミック

 

漫画自体は結構前からやってた作品だし、この作者の前作の漫画も同じようなのだったらしいんですけど、

全編に渡ってセリフが一切ないという点…ってか寧ろ絵を描くことへのこだわり。

そしてこのイマドキの萌え風な絵柄という点。

 

ぶっちゃけソレだけなんだけど、他にこの2点をウリにした漫画は見たことも聞いたこともないんだよね。(漫画を良く読む程度な意識の俺が言ったとこでって話だけど)

でもその漫画のウリになる部分が他の作品と被らないって点はやっぱり最強な武器だと思うんだよね。

だってそれってつまり、ソレが好きって人がいれば、そのソレが同じコンテンツの中で他にはないから買い手が分散しない。

売り上げの極端な変動も無く、固定ファンが付くっていう強みがあるんだよね。だってライバルがいないんだもん。

 

ほら、「仲間が~」「絆が~」みたいなのをウリにしてる大人気漫画の

某海賊漫画とか某魔術師ギルド漫画とかって絶対アレはウリの部分被ってるっしょ?

だからあとは中身の細かい設定やら絵柄やらの違いなんかで買う方を決める訳で、そうして買い手が分散する訳よ。(…って作品が作品だから、どっちも買ってるって人多そうだけど…)

 

だからそーゆー点から、他にはない、新しい作品のウリとなる部分ってのを考えるのは、やっぱり一番重要なことなんだなって、

この記事書いてて、改めて噛みしめたいと思いました。

 

 

 

 

 

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他にも漫画には、「エンタメ」として描いているが「アート」として見られるフランス製の漫画「バンド・デシネ」というものがあったり

 

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「アート」の分野のイラストの様でもあり、台詞を書くことで「エンタメ」としての漫画の体裁も持つ一コマ漫画というものが存在したり・・・。

 

 

本当に漫画って分からねえ。

冨樫先生。漫画って何なんスかね? 何で人は漫画を描くんスかね?

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表裏一体 重なった二つの未来だわ

⤴イミフ

 

 

 

 

 

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手塚治虫の「火の鳥

アレはきっと「アート」としても「エンタメ」としても完成された究極体。

一個が修練の末届き得る限界。それを卓越した稀有な事例だと思う。

というか思いたい。

本当に悔しいがこのU.Z、「火の鳥」はやはり理解し切れない部分が多すぎるで候…(-_-;)